近年、複雑化する現代社会において、仕事や職場の人間関係に様々な悩みを抱える人が増えています。人事担当として、従業員のメンタルヘルス対応に頭を悩ませる機会も多くなっているのではないでしょうか。これまでに1万人超のメンタルを救ってきた「金髪アフロと赤メガネ」がトレードマークの精神科医&メンタル産業医、井上智介先生に、メンタルヘルス対策に産業医を活用するメリットを聞いてみました。


メンタルヘルスで産業医が担う役割・業務とは
産業医とは、職場において従業員が健康で快適な環境で仕事ができるように、医学の専門知識をもとに指導やアドバイスを行う医師のことです。厚生労働省が定める労働安全衛生法に基づき、従業員50人以上の企業・事業所は、産業医を選任しなければなりません。
産業医が担うことで、メンタルヘルス対策に繋がる業務としては、主に以下が挙げられます。
1.衛生委員会への参加
衛生委員会とは、職場の安全や従業員の心身の健康維持・増進を目的に、労働災害の防止や職場環境の改善を行うために設置される組織・制度です。産業医が参加することによって、職場の現状を把握してもらい、従業員に適切な対応を行うことに繋がります。
2.職場巡視
原則として、毎月1回、職場巡視を行います。産業医が巡視によって職場の状況を把握することで、専門的な指導や改善に向けたアドバイスを受けることができます。
3.従業員との面談
2015年に厚生労働省から施行された「ストレスチェック制度」により、従業員50人以上の企業・事業所はストレスチェックが義務化されました。産業医はストレスチェック後の希望者に対して面接・指導を行います。例えば、メンタル不調に陥った従業員に対しては、回復のための対策や今後の働き方などをアドバイスしています。
ストレスチェックには職場単位で集団分析をすることもできます。部署単位で高ストレス者が多い場合は、その部署の責任者や勤怠管理を担当する人事・総務担当者とともに原因を探り、指導を行うこともあります。
ストレスチェック以外にも、残業時間が多い過重労働者に対して面談を行い、心身疲労の状態や業務に影響を及ぼしていないかなどを確認します。
また、メンタル不調や過重労働などによって就業を続けることが難しい場合、休職したほうがよいかどうかの面談も行います(場合によっては、主治医の診断書で判断)。復職する際も面談を実施して、就業可能かどうかを判定。復職後の指導なども行います。
メンタルヘルス対策に産業医を活用するメリット
従業員のメンタルヘルス対策に産業医を活用することで、大きく分けて2つのメリットがあります。
1.職場環境や勤務状況から、メンタル不調の原因を判断できる
外来の精神科医がメンタル疾患を判断する場合、「夜眠れない」「食欲がない」「気分が落ちている」など、今起きている日常的な症状に焦点を当てて診断することがほとんどです。しかし、メンタル不調は、明らかに勤怠が乱れていたり、業務のパフォーマンスが落ちていたりなど、職場環境や業務の弊害状況と合わせて判断することも重要です。
一方、産業医は起因となる職場環境や業務状況についても把握することができます。本人からの話だけではなく、周囲から見た本人の様子を聞いたり、労働時間を調べたりすることで、多角的に判断することができるのです。
休職していた従業員の方が復職する際も、「今は繁忙期だから、あと1カ月後にしましょう」など、勤務先の状況に応じた適切な提案ができます。また、直属の上司にも「しばらくは過度な残業や負荷の大きい業務を避けてほしい」といった指導ができることも大きなメリットと言えるでしょう。
2.精神科を受診するより、相談のハードルが低い
「精神科や心療内科の病院はなんとなく行きにくい…」と、迷われる方は少なくありません。しかし、産業医であれば、ストレスチェックや過重労働などの面談や、月に1回の職場巡視のタイミングで相談してもらうことが可能です。定期的に面談のチャンスがある産業医に、気軽に相談できるということもメリットの一つだと思います。
産業医の活用によって、メンタルヘルスヘアに繋がった事例紹介
実際に私が産業医として、従業員の方のメンタルヘルスケアに向き合い、改善に繋がった実例をいくつか紹介したいと思います。
1.復職・休職を繰り返す従業員の業務見直しで再発防止へ
建設会社に勤務しているAさんは主治医の判断だけで復職したものの、半年もしないうちにメンタル不調が再発し、また休職することになってしまいました。本人が「復職したい」と言っても、休職前と同じ環境や仕事内容で復職してしまうと、症状が再発することはめずらしいことではありません。
その会社はメンタルヘルス対策に慣れてないかったため、復職には主治医の診断書だけではなく、産業医の判断と指導も必要であることを伝え、Aさんには産業医として面談。「復職後1カ月は残業や出張はしないこと」「自動車の運転や高所での作業はしない」といった業務の制限をかけることを提案、「休職前とは違う部署に異動するのはどうか」と打診しました。
その結果、業務負荷が軽減され、所属部署も異動し、周囲からも配慮されるようになったことで、Aさんのメンタル不調も回復に向かうことができました。
2.研修で理解を深めてもらうことで、メンタルヘルスの職場改善を実現
ある大手企業B社では、産業医が管理職に対してメンタルヘルスに関する研修を行い、部下に対する適切な接し方やメンタル不調の従業員への対応法などの理解を深めてもらう取り組みを行いました。
実は、研修を実施する前まではメンタルヘルスの知識が浅かったために、体調が悪そうな部下がいても、会社を休みがちになるまで声をかけていなかったり、ミスを連発する部下をきつく叱ったりなど、職場の雰囲気がギスギスしていたそうです。
研修後は、「昼間からうとうと居眠りしている部下を怒鳴りつけていたが、今考えると睡眠障害による不眠に悩んでいたのかもしれない」「会社に産業医がいるなら、自分だけで悩まずに相談していいんだと気が楽になった」「メンタル不調らしき部下を見つけたら、とりあえず産業医に相談してみよう」といった感想が寄せられました。上司が職場の問題を自分一人で抱え込まなくていいという安心感が伝えられたと思います。
3.ストレスチェックの集団分析で上司と部下のミスコミュニケーションを解消
老舗製造業のC社では、「仕事は背中を見て覚えろ」といった昔ながらの職人タイプの上司が多く、若手社員との溝ができていました。上司は自分たちもそうやって育ってきたんだから当たり前と考えていても、若手からすると「上司は何も教えてくれない」「何か聞くと怒られる」ばかりなので、不平不満が溜まり、仕事に対する意欲も落ちていました。
ストレスチェックの集団分析や面談で、職場の人間関係や上司と部下のミスコミュニケーションが多いことがわかったため、産業医として管理者向けに「若手社員とのコミュニケーションの取り方」について研修を実施しました。
研修を受けたことで、上司たちは自分たちがやっていることが「パワハラで訴えられるかもしれない行動や発言」だったり、「部下のストレスの原因になっている」ことを理解してもらうことができました。最初は慣れないながらも、マイルドな言い回しや態度をするようになり、部下たちもその努力を感じて、少しずつではありますが、職場の雰囲気もなごやかになってきたようです。
職場と産業医を繋ぐことが、最強のメンタルヘルス対策
産業医をメンタルヘルス対策に活用する最強の方法は、職場と産業医を繋ぐことです。最近はリモートワークやデジタル化が進んできたことで、管理者向けのオンライン研修や従業員向けのオンラインセミナーなども実施しやすくなりました。
人事の方には、こうした研修・セミナー開催の告知や、産業医が訪問する日程の事前告知に、「もうこの顔、見飽きた」と言われるくらい産業医の顔写真を載せてほしいと思っています。産業医が毎月会社に来ていることだけでも認知してもらえれば、相談してもらうチャンスが増えるからです。
まずは、産業医の存在を知ってもらう。それがメンタルヘルスの不調を防ぐ対策に必ず繋がっていくはずです。