飲食店チェーンの元経営者が前職企業の機密情報を受領したり、通信大手に所属するエンジニアが技術情報を不正に持ち出して競合に転職したりして、不正競争防止法違反の疑いで逮捕されるケースが相次いでいます。どの企業でも、自社で活躍していた従業員が競合に転職し、自社のノウハウが流出するのを防止したいと考えています。その一方で、労働者は、憲法22条で「職業選択の自由」が保証されています。そこで、人事が知っておきたい企業が事前に講じておかなければならない取り決めと、万が一裁判になった時に有効とされるポイントについて解説します。

在職中の「競業避止義務」とは?
「競業避止義務」とは、労働契約を結んだ従業員は、所属企業と信頼関係を構築し、不利益になるような競業行為をしてはならないという義務を指します。就業規則で定められていなかったとしても、競業避止義務は労働契約を結んだ時点で生じる義務です。
そのため、例えば在職中に会社に黙って顧客リストやノウハウを元に営業活動を行ったり、他の従業員を引き抜いたりすることは、競業避止義務に反するとして懲戒処分や解雇の対象になります。損害賠償を請求されるだけでなく、最悪の場合は不正競争防止法の刑事犯になる可能性さえあります。もちろん、事前に所属企業の許可を得ていれば問題にはなりませんが、基本的に在職中の競業行為はトラブルの元になるので、就業規則で明記しておくことが望ましいでしょう。
競合他社への転職について
企業側としては、顧客やノウハウなどビジネス上の資産が流出する可能性があるため、従業員の競合他社への転職をできるだけ防ぎたいと考えます。ただし、労働契約を結んでいる間は競業避止義務を課すことができますが、退職後は職業選択の自由によって競業避止義務を認めることができません。そのため、退職後の競業の防止については、契約上の根拠が必要となります。
平成24年度の経済産業省委託調査「人材を通じた技術流出に関する調査研究 報告書」のうちの、「競業避止義務契約の有効性について(https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/pdf/handbook/reference5.pdf)」という報告書によると、退職後の競業避止義務契約について、「①守るべき企業の利益があるか」「②従業員のポジション」「③地域的な限定があるか」「④競業避止義務の存続期間」「⑤禁止される競業行為の範囲」「⑥代償措置が講じられているか」という項目について、過去の判例では有効性を判断しているとされています。これらの観点を総合的に判断し、一定の合理性がないと退職後の競業避止義務は認められません。①~⑥を具体的に解説します。
①守るべき企業の利益があるか
例えば、営業や技術などに企業独自のノウハウがあり、企業秘密として管理することが難しいものは、企業側に利益があると判断される傾向があります。ただし、従業員の能力や努力によって独自に獲得した人脈や営業手法については、有効性が否定されたケースもあります。
②従業員のポジション
裁判では、競業避止義務を課すことが必要な従業員かどうかが判断されます。必ずしも役員などの高いポジションで有効性が認められるというわけではなく、アルバイトであっても守るべき秘密情報に接していれば有効性を認められるケースもあります。
③地域的な限定があるか
在籍時に担当していたエリアを制限するなど、地域限定の観点で判断を行っている判例は少ないのですが、業務の性質などに照らして合理的な絞込みがされているかどうかが問題とされています。
④競業避止義務の存続期間
「退職後○年以内であれば競合への転職を禁止しても問題ない」などの一定のルールはありませんが、1年以内だと有効性が認められるケースが多く、2年になると否定的な判断をされるケースが見られるようになります。そのため、退職後3年以上の長期にわたって競合への転職を禁止しようとした場合、裁判だと有効性が認められない可能性があります。
⑤禁止される競業行為の範囲
禁止される競業行為の範囲についても、企業側の守るべき利益との整合性が判断されています。そのため、競合に転職したとしても、どの企業でも従事するような一般的な業務を行っているだけでは、守るべき利益との整合性が判断できません。例えば、「在職中に担当した顧客への営業活動を禁ずる」など、活動内容や職種が限定されている場合は有効性が認められるケースが多くなります。
⑥代償措置が講じられているか
転職活動は、一般的にこれまでの経験・スキルを活かして同業同職種に転職することが、最も有利とされています。そのため、退職後になんの代償措置も講じずに、一方的に競合への転職を禁止することは、元従業員にとっては不利益にしかならず、競業避止義務契約の有効性が認められません。競合への転職を禁止する期間に、元従業員の生活が成り立つ範囲で、退職金や保証金を支払うなどの措置が必要です。
代償措置の金額に明確な決まりはないのですが、過去の裁判例として、同業他社に転職した場合は返還する旨の合意をして1,008万円の退職加算金を支給したところ、この従業員が同業他社に転職したため返還を求め認められた事例があります。
企業が講じておく取り決め方法
就業規則に、競業行為の範囲や競合への転職のルールを明記しておくことが重要です。また、競合への転職を制限することだけでなく、不正競争防止法に基づいて、営業資料や顧客リスト、技術情報などの持ち出し禁止を明示することも重要です。例えば、「退職する時は名刺をすべて返却する」「顧客との取引履歴などの持ち出しをしない」などを明記した合意書や誓約書を、退職時に交わすことです。競合への情報流出を防ぎたいのは、主に営業や技術などのポジションになるので、個別具体的な競業行為や転職を禁止する期間・範囲については、就業規則よりも合意書や誓約書で定めておいた方が良いでしょう。
なお、情報の持ち出し履歴がなく、本人の頭の中にある情報だけで競合に転職した場合は、裁判所に持ち込んだとしても損害賠償請求はできません。退職して数年間は競合への転職を禁止されて、さらに頭の中にある情報さえも持ち出せないとしたら、元従業員は困ってしまいます。本気で禁止したいのであれば、妥当な範囲の代替措置を講じて、競合への人材の流出を防止しましょう。